満洲事変に国際法違反も、コミンテルンの陰謀も成立しない!
シリーズ③満洲事変を正しく知って賢くなろう
日露戦争は国際社会にとって、アジアについてはとりあえず勢力圏の決着がついたという戦争です。そして、今度はヨーロッパだというモードに入っていました。満洲はヨーロッパにとっては所詮、経済権益です。バルカン問題と、どちらが深刻かという話です。ロシアでさえ、主正面はバルカンです。アメリカも隣国メキシコの革命癖、動乱癖の問題を抱えていました。こうした構造の中で、一九一四年からの第一次世界大戦に突入します。
この状況は、日本はアジアで誰も手出しができない無敵の帝国となっているということを意味します。
満洲事変の時、アメリカ海軍のプラット提督が、時のフーバー大統領に具申されて答えた言葉ほど適当なものはないでしょう。プラット提督は「日本は一日でマニラを攻略できるが、我々が取り返すにはイギリスが味方についてくれても二年はかかる」です。この時期、英米に軍事同盟などありません。それどころか、フーバー大統領は大英帝国の経済覇権にとって代わろうと、イギリスと金融戦争の真っ最中です。プラットの言っていることは、つまり「日本には勝てません」です。
ついでに言うと極東イギリス軍など、一九四一年の段階の日本が二か月で粉砕しています。軍事圧力になりません。
一九三一年の地図を見てください。ソ連のウラジオストク、アメリカのハワイ、イギリスのシンガポール。白人三大国に囲まれています。しかし、別の見方をすれば、遠巻きに見ているだけです。
ということは、満洲建国までで政策をとどめておけば何ほどのこともなかったと言うこともできるでしょう。それなのに、なぜ大日本帝国は地球の地図から消えてしまったのでしょうか。日本人は満洲に思い入れが強すぎる割に、満洲事変の反省をしていません。
満鉄、あじあ号、東洋のマタハリこと川島芳子、映画の満映、李香蘭、馬賊・匪賊、甘粕機関……。
マニアが喜ぶ話は出てこないと思ってください。
『学校では教えられない 歴史講義 満洲事変 ~世界と日本の歴史を変えた二日間 』より抜粋
次回は、シリーズ④国際連盟脱退は日本の内政問題 です。
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